60代女性
「最近は体調がよくて、サプリをけっこう飲み忘れます。以前はゲルマニウムが命綱って感じで、駐車場からこの診察室まで歩いてくるのも精一杯、疲労困憊の体でした。でも今は普通に歩いています。当たり前のように、平然と。でもわかっています。それは決して当たり前ではありません。先生のおかげです。ありがとうございます。
でも、ちょっと愚痴をこぼしてもいいですか?健康になってもちろんうれしいのですが、それはそれで不幸なんじゃないか、って最近考えてしまいます。ツイッターで情報をとるようになってから、私はこれからの世界に希望を持てなくなってしまいました。
移動の自由がなくなって、定期的にワクチンを打たれて、食糧不足で人工肉とか虫を食べるしかなくて、あちこちで監視されて。世界を支配する一握りの人と大多数の奴隷。そんな社会で、いったい”健康”が何の役に立つでしょう?健康な奴隷であれ、病気持ちの奴隷であれ、奴隷は奴隷です。これから恐ろしい社会になるのなら、いっそ適当なところで病気になって死んだほうがよかったかもしれない。悲惨な世界を見ないで済むわけですから。
先生は”責任世代”です。お子さんを育てる責任があるのはもちろんですが、40代男性というのは次世代に自分の経験や知識を伝え継ぐ義務があります。でも私のような60代女性は子育ても終わったし、先生のような社会的責務の重荷はありません。自分の趣味や好きなことをして気楽な”余生”を過ごす、そういう世代です。でもそれは、社会が通常運転していれば、の話です。アフターコロナの先にある”ニューノーマル”の社会は、私がこれまで見知ってきた昭和の社会とは異質なものだと思います。ワクチンを拒否しただけで強制連行されたり、ドローンであちこち監視されたり、政府を批判するだけですぐさま逮捕されたり。自由のない地獄のような社会かもしれません。繰り返しますが、先生、そんな社会で健康が一体何の役に立つでしょう?
先生もどこかに書いておられましたが、『知ることのストレス』、私もこれをつくづく感じます。いっそ何も知らなければどれほど幸せだったか。テレビや医者が言うままにマスクをしてワクチンを5回打って、体調崩して、それで接種との因果関係も何も疑わないまま死んでいく。それはそれで、全然幸せな人生だと思うんです。皮肉でも何でもなくて。
でも私は知ってしまいました。マスクの無意味さ、ワクチンの危険性、これから社会がどうなっていくか。でも、知っているけれど、何もできません。ワクチンは打たないからそのせいで死ぬことはないと思う。でも変わりゆく社会を見ながら、何の抵抗もできない。『長生きなんてするんじゃなかった。病気になってさっさと死んどけばよかった』そんなふうに後悔する未来になるんじゃないかと、私、たまらなく不安なんです」
60代女性
「突然のお便り失礼します。私は昨夏コロナワクチンを2回打ちました。大きな副作用はありませんでしたが、後に調べたところでは、接種後死亡者が多数出ているロット番号でした。世間で3回目の接種が勧められる頃になってようやくこのワクチンの危険性に気付き、遅ればせながら先生の『コロナワクチンの恐ろしさ』を読みました。
接種後自分の身に何が起こったとしても、これも運命と受け入れる覚悟はできています。ただ家族は救いたい。そういう思いで、夫や娘にワクチンの危険性を伝え3回目接種を思いとどまらせようとしましたが、できませんでした。
娘には1歳半の子供がいます。私の孫娘にあたるこの子が、いまだに歩きません。立ち上がろうとするのですが、すぐにしゃがんでしまいます。これがコロナ禍でなければ、また、娘がコロナワクチンを打っていなければ、発育の個人差だろうと片づけていたところですが、妊娠中のワクチン接種の危険性、母乳にスパイクタンパクが含まれていることなどを知ってしまった今となっては、孫娘の発育不良と娘のワクチン接種の因果関係を疑わずにはいられません。また、孫娘は定期接種ワクチンもすべて打っています。先生の以前の記事『小児ワクチンについて』を読み、胸がふさがる思いでした。
親子の関係性が崩れてもいいという覚悟を持って、これまで私が知り得た情報を娘に伝えました。『どうかこれ以上コロナワクチンは打たないで欲しい』と。そして率直に、孫娘がいまだに歩けないのはワクチンが原因ではないかという懸念を伝えました。娘は激しく苛立ち、以後、私との接触を避けるようになりました。夫と二人して、私の頭がおかしくなったと思っています。
私は接種後、胸痛とかすみ目が出るようになりました。いつどうなるか分からないと思っています。昨夜は遺書を書きました。『突然死したら解剖の上、ワクチン遺族会につなげて欲しい』と書きましたが、夫からも娘からも愛想を尽かされている今の状況ではそれも叶わないかもしれない。
夫からは『もうコロナの話はするな』と言われているので、コロナ関係のニュースなどを見ても努めて平静を装っています。遺書を書き、感情を抑えている私の横で、夫はお笑い番組を見て笑い声をあげています。四十年以上連れ添ったパートナーとこんなにも分かり合えないことに、底知れない絶望を感じます。
『コロナワクチンの恐ろしさ』の副題に『知らないほうが幸せかもしれない』とあります。本当にその通りです。何も知らなければ、夫や娘との良好な関係が崩れることはなかったでしょう。お笑い番組を見て夫と一緒に声を出して笑うこともできたでしょう。でも、もう戻れません。一度知ってしまったら、もう知らない状態には戻れないんです。
幸い、今、私は生きています。孫娘の発育が今度どうなるか分かりませんが、私が今生きていることにも、孫が生まれてきたことにも、きっと意味があると思っています。せめて孫の人生の道筋ができるまで生きていたいと思っています」