岡澤美江子先生は50年以上前から臨床でアサイゲルマニウムを使い、その有効性を実証してこられた。浅井一彦先生の著書にもその名前がちらほら出てくるし、有機ゲルマニウム研究会でも多くの症例報告をした。
当ブログでも岡澤先生のことは何度か取り上げたことがある。
https://clnakamura.com/blog/6561/
https://clnakamura.com/blog/6122/
https://clnakamura.com/blog/6146/
https://clnakamura.com/blog/6192/
上記の記事のなかに、「癌は50万円で治る病気なのよ」という岡澤先生の言葉がある。この短い言葉のなかに、岡澤先生のゲルマニウムに対する信頼感が凝縮されている。「アサイゲルマニウムは高額だけど、癌にかかったとなれば、覚悟を決めてしっかり飲みなさい。ざっと50万円は見ておきなさい。でも逆に言うと、癌はそれで治ります」
岡澤先生は現在101歳。神奈川にある老人施設に入居中で、今も毎日ゲルマニウムを飲んで健康を保っている。機会があればお会いしたいと思っていた矢先に、コロナが始まった。面会は家族さえ自由にできなくなった。僕のような部外者の面会はなおさら厳しい。
そこで、アサイゲルマニウム研究所の中村宣司さんからこのような提案を受けた。「岡澤先生の娘さんとお会いしませんか」
先日、金沢文庫にある娘さんの事務所にお伺いし、様々な話を聞いた。
僕が神戸から来たというと、娘さん「私も神戸には20年以上住みました。ちょうど阪神大震災も経験しましたよ。21世紀になった頃に神奈川に戻ってきました。今でも神戸がなつかしい」
事務所の机にこんな本が置いてあった。『報道写真全記録 阪神大震災』
何気なく手に取って、ぱらぱらとページをめくっているうちに、本に引き込まれた。倒れた阪神高速道路。崩壊した三宮のビル群。火事で焼け出された人々。数々の衝撃的な写真を見ているうちに、だんだんたまらない気持ちになってきた。
県外の人から「どこ出身?」と聞かれたら「神戸」と答えるけれども、僕は本当は明石出身なんです(←神戸の人から一番嫌われるパターン笑)。でも明石も揺れた。ものすごく揺れて、倒壊した建物もあって大変だった。僕は当時14歳。子供だけど物心はちゃんとついてて、地震のことはよく覚えてる。覚えているけれども、心の健康を保つために、あえて思い出さないようにしているところはあると思う。
だから、こういう機会でなかったら、こんな写真集は読まない。あえて古傷に触れるような行為だから、本を手に取ろうとさえ思わない。
言ったら何だけど、娘さんがこの本を気楽に事務所の机に置いておけるのは、地震が他人事だからだと思う。神奈川で生まれ育って20年、それから神戸に住んで20年、今また神奈川に戻って20年。あの地震を神戸在住の当事者として経験したのは間違いないだろうけれど、根本的には他人事だから、それなりに客観視できる。この写真集を見たって、僕ほど感情的に揺さぶられることはない。
そう、僕はこの写真集を見ているうちに、内心娘さんの話どころではなくなってしまった。写真の一枚一枚がショックで、いろんなことを思い出して、14歳当時の自分に引き戻されて。
阪神大震災の経験者は、この写真集を見れば、泣きます。これは絶対です。何を賭けてもいい。確実に涙が出ます。
状況的に泣いたらおかしいから僕は涙をこらえたけれども、そういう場じゃなくて、たとえば部屋でひとりでこの写真集を見ていたら、僕は遠慮なく泣いたと思う。
自分の中にこういう感情があるのが意外だった。トラウマ(心的外傷)なんて自分には無縁だと思っていた。でも子供なりにやっぱり地震はショックだったんだな。地震から28年も経った今になって、ようやく気付かされたよ。
明石に住む少年にとって、休日に三宮とかハーバーランドに遊びに行くというのは特別な時間なんです。地震前の神戸は活気があって、行くだけでワクワクした。元町や三宮の高架下にひしめく怪しげな店の雰囲気も好きだった。長田に焼肉のうまい店があったけど、それも地震で潰れてしまった。
かつて神戸港は日本一の貿易港だったけれども、地震をきっかけに転落した。それだけではない。人口数、出生数、生産年齢人口の減少と老年人口の増大、都市部(東京、大阪)への人口流出、女性の非婚化が進み、市の衰退はもはや隠しようがない。
https://clnakamura.com/blog/5389/
今、僕は神戸市に納税するれっきとした神戸市民だけど、子供の僕が見ていた神戸と今の神戸、果たしてどっちが魅力的かっていうと、もはや比較にもならない。でも安易に地震のせいにしちゃいけない。実際、明石や西宮は人口が増えてている。魅力的な町には人が集まるものだよ。大した魅力もないし税金は高いし、となれば、神戸に住むメリットがない。人が離れて当然だと思う。明石の敏腕市長みたいなのが神戸に来てくれれば、また盛り上がるだろうけれど。
つい先日、鵜丹谷(うにや)さんと話をする機会があって、そのときに上記の震災写真集の話をした。「地震を経験した神戸市民ならあれを見て泣かない人はいないですよ」と。すると鵜丹谷さん、こう言われた。
「わかります。私もテレビとかで神戸の地震のドキュメンタリーをやっているのを見ると泣いちゃうから。
震災当時、私は神戸で会社を始めたばかりの頃だった。地震当日からすぐに自転車であちこちを回った。目を覆うような被害だった。倒壊した家屋の生き埋めになった人もいた。助けたかったけれども、自分の力だけではどうしようもない。それはもう、ものすごい無力感で。そのときの悔しさが骨身にしみてる。
今、反ワクチンの活動をしてるけど、その原体験には震災があります。ワクチンの危険性を分かっているのに知らせず、みすみす打たせて健康被害を受けたり最悪の場合死んだり。そういう経験はもう二度とごめんなんです。あの地震だけで十分です。当時の無力感や後悔は二度と味わいたくありません。だから今、こういう活動をしているんです」
地震の教訓をこんなふうに生かしている人が身近にいる。
何歳であの地震を経験したか、というのもあるだろう。僕は子供だったから、また、明石だから神戸ほどの被害がなかったこともあって、鵜丹谷さんのような無力感は感じなかった。
それでも、同じ危機意識(『あのワクチンはやばい』)を持って活動している。年齢や価値観がちょっと違うこういう人の存在が、僕にはとても刺激になります。