2021年3月

2021年3月

ゲルマニウムと浅井一彦

2021.3.13

1958年、浅井一彦は石炭の研究に没頭していた。彼が石炭のガス液から、銀色に光る棒状単結晶の有機ゲルマニウムの抽出に成功するのに、それから10年近くの歳月を要するのだが、当時の彼はそんなことは思いもしない。私財を投じて作った石炭総合研究所の所長として、ただひたすら石炭の基礎研究に打ち込むのみだった。

浅井は、ある会合に出席した折、若い音楽家を紹介された。「ヨーロッパに渡って指揮者になる勉強をしたいと思っています」という若者である。渡欧資金の工面のためにあちこち奔走しているようだ。浅井はこの若者にいくつか質問をした。どんな指揮者になりたいのか?日々どんな練習をしているのか?どれほどの金が必要なのか?若者は必ずしも雄弁ではなかったが、自分の言葉で音楽への熱意を語った。夢は「世界一の指揮者になること」だという。
浅井はドイツ留学時代、何度かオーケストラの鑑賞に行ったことがある。フルトベングラーの指揮する『ニュルンベルグのマイスタージンガー』や、カラヤンの指揮する交響曲を直接聞いた経験は、彼の密かな誇りだった。この若者がヨーロッパで大成し一流の指揮者になったとしたら、どれほど素晴らしいことだろう、と彼は思った。
若者にどれぐらいの音楽的才能があるのか、浅井には分からない。多くの若者の夢がそうであるように、この若者の夢も、いずれ壁にぶち当たり、実現することはないだろう。しかし浅井はこの若者が気に入った。その大きな夢に、自分も賭けてみたい気がした。
日夜石炭研究に打ち込む自分である。この研究が形を成し花実を咲かせるか、まったく分からない。この若者も自分と同じである。成功の保証はない。ただ、不確実な未来へ邁進する、熱意だけはみなぎっている。浅井はこの若者の中に、自分の姿を見たように思った。
考えるまでもない。その場で、ある金額の資金援助を約束した。そしてふと思い出して、こう聞いた。「君、着ていく背広の準備はあるのかい?」この心遣いも留学経験のある浅井ならではである。向こうで調達するのもいいが、日本で腕のいい職人に作らせても充分そん色のない背広ができることを、浅井は知っていた。

この若者こそ、後に指揮者として名を成す小澤征爾その人である。
1959年単身で渡仏。その荷袋の中には浅井から贈られた一張羅の背広があった。将来有望な若手指揮者の集まるブザンソン音楽コンクールで1位に選ばれた。カラヤンに師事し指揮者としての感性に一層の磨きがかかった。1960年バークシャー音楽コンクールで最高賞(クーセヴィツキー賞)を受賞。1961年ニューヨーク・フィルの副指揮者に就任。バーンスタインに師事。多くの公演でタクトを振り、いずれも大盛況。その実力を周囲に認めさせた。

小澤の名声は、遠い日本、東京世田谷の浅井の研究室にも聞こえていた。若者の快進撃を、浅井が喜ばぬはずがなかった。だから、1961年小澤がNHK交響楽団に招かれて凱旋帰国した際には、浅井は家族全員を連れて鑑賞に駆け付けた。小澤は浅井一家に最前席を用意することで、かつての恩に報いた。

浅井研究所社員が語る。「浅井社長の奥さんはドイツ人で、いかにもヨーロッパ美人という感じの、とても美しい人でした。で、その娘さんも近所で評判の美人だった。あまりにも美人なので、世田谷の写真屋さんが娘さんをモデルに写真を撮って、その写真が長く写真屋のショーケースに飾られていたほどです。小澤さんはこの娘さんに恋をされました。もっとも、この恋が実ることはありませんでした。
浅井社長のご家族、奥さん、子供(一男三女)は、社長を除き全員、ドイツに行ってしまわれましたから。子供のうち、長男の博一さんは数年前に亡くなられましたが、三人の娘さんは皆さん元気にしておられます。2年ほど前、まだコロナの前ですが、皆さん日本に来られ、私もお会いしました。
そこで私、印象に残ったのが、娘さんたちの日本語の美しさです。皆さん昭和40年代に日本を離れて、ドイツで結婚され、すでに子供や孫がいます。もう日本語よりもドイツ語を使っているほうが長いような人たちです。でも若いときに日本を離れて外国に永住するようになると、日本語が”そこで止まる”んですね。つまり、娘さんの日本語は、昭和40年代の東京の日本語なんです。
私は生まれも育ちも東京です。東京言葉は知ってるつもりでしたが、娘さんたちと話すと、その言葉の美しさに、何だか緊張して背筋が伸びる思いでした」

ああ、なるほど。外国に行くとその人の中で日本語の変化が止まる、というのはおもしろい現象だね。この現象って、何か名前がありますか?(笑)。娘さんらは20代で日本を離れ、現在80代。60年前の日本語が、海外在住者の中に缶詰みたいに保存されているわけだ。
確かに、この娘さんたち「めっちゃムカつく!」とか言わないと思う(笑)
そういうの思うと、僕らの話す今の日本語はずいぶん汚れちゃったよなぁ。

 

変な味

2021.3.8

【症例】40代女性
【主訴】口の中が変な味がする、悪心、息苦しさ
2021年2月16日受診
「2年ほど前からの症状です。口の中で「変な味」がします。酸味のような、金属のような味。食事をしているときは大丈夫です。でも何も食べてないときに、変な味を感じます。不愉快なので、誰もいないときにはいつも舌を出しています。そうすると少しマシな感じがするので。
2年ほど前の同じ頃から、胃腸の気持ち悪さと息苦しさも始まりました。
食欲はあります。でも胸がムッとして受け付けないって感じです。だから、食べれないことがすごくストレスです。
息苦しさは、酸素がうまく吸えてない感じです。深呼吸してさえ、ちゃんと呼吸できてないようなもどかしさがあります。特に過呼吸というわけではありません。
すでに栄養療法を実践していて、食事には気を遣っていますし、MSSのサプリを処方してもらっています」

味覚異常に対して、どうアプローチすべきか?一体原因は何だろう?
たとえば、チェルノブイリ原発事故の救出活動中、多くの作業員が「金属の味を感じた」と報告している。

頭頚部の癌に放射線治療をすると高い確率でdysgeusia (味覚異常)を生じることは、放射線科医にとって常識だろう。つまり、放射線被爆によるmetallic taste。これがひとつの可能性。
「頭部CTをしょっちゅう撮ったりしたことは?」と一応聞いてみる。「子供のときに病気がちでよく入院していました。レントゲンを撮ったことは普通の人より多いかもしれませんが、CTを撮ったことはありません」

「味覚異常」と聞いて、医学部の学生が最初に思い出すべき鑑別疾患は亜鉛欠乏である。しかしこの点については、患者のほうから先回りして「亜鉛のサプリはしっかり摂っています。1日30㎎。むしろ摂りすぎということはないですか?」

薬剤性に味覚異常を起こすことがある。たとえば抗生剤(テトラサイクリン)、アロプリノール(痛風治療薬)、リチウム(躁症状に)などである。これらの薬を飲むと、成分が胃腸で吸収され、体内を巡り巡って、一部が唾液腺に到達する。それで「口の中に妙な味がする」となる。あるいは、抗うつ薬によって口腔内が乾燥(ドライマウス)し、そのせいで味覚がおかしくなることもある。
「薬は何も飲んでいません。飲んでいるのは、サプリだけです」

重金属曝露によって味覚障害を生じ得る。たとえば、水銀や鉛を扱うような職場で、これらの重金属を大量吸引するケース。
「コンサル業をしています。仕事で重金属に接する機会はまずないです」

うーむ、分からない。
こういう場合は、よかれと思ってやっている治療が、逆に症状を増悪させる可能性を疑ってみる。たとえば亜鉛サプリを飲んで「味がおかしくなった」という患者(30代女性)を経験したことがある。亜鉛、銅、クロム、鉄、カルシウムあたりは、過剰摂取によって味覚変化を起こし得る。「ミネラルサプリはどういうのをお飲みで?」
「鉄を1日36㎎。あと、セレン200μgも飲んでいます」
うーん、一応容疑者だけど、保留かな。

要するに、味覚異常の線からは、捜査が行き詰ってしまった。しかし「打つ手なし」かというと、全然そんなことない。他の症状(悪心と息苦しさ)への栄養的アプローチが、同時に味覚の異常をも改善した、となってくれるとありがたい。
悪心は、まず間違いなく、腸のdysbiosisが背景にある。何らかの原因で腸内細菌叢が乱れているに違いない。そこで僕が推したいのは、麹である。味噌汁はもちろん、肉や魚は塩麴で味付けするように努め、麹水を毎日積極的に摂取するよう勧める。必要に応じて、茶麹のサプリも使うといい。
フルボ酸の液体サプリもいい。腸の炎症を鎮める作用もあるが、それより何より、この患者の場合、ミネラル補給の意味合いが大きい。いったん鉄や亜鉛をやめて、フルボ酸に切り替えてみる、というのもありかもしれない。
息苦しさに対しては、何といっても、有機ゲルマニウムである。赤血球の代謝亢進とともに、酸素の発生作用によって、すみやかに息苦しさを軽減してくれるだろう。

3月8日再診。
「悪心は8割方なくなりました。食事が食べられるようになりました。息苦しさも8割なくなりました。息をしても酸素が吸えてないような、あの妙な感覚はなくなりました。
舌の変な味については、あまり変化ありません。せいぜい、多少効いたかな、程度です。

効果を一番実感したのはフルボ酸です。私、鉄については、これまでずいぶん悩ましい思いをしてきました。
若い頃からずっと貧血持ちで、冷え性、立ちくらみ、生理痛やPMSなど、いろいろな症状に苦しんでいました。栄養療法のことを知って、最初に試したのがヘム鉄です。おかげで冷え性が楽になりました。でも、いま一歩でした。そこで次に、キレート鉄の存在を知って、試してみたんですね。すると、立ちくらみが見事に治まりました。でも、その代わり、気分が悪くなって、便の性状もひどくなりました。
体に合ってないのかな、と思ってキレート鉄をやめると、今度は生理痛がひどくなる。今まで経験したことのないくらいひどい生理痛です。普通に一日を過ごすこともできません。それでキレート鉄を再開すると、生理痛が楽になる。でもやっぱり気分が悪くなって、便も真っ黒で。やめると、また生理痛がひどい。
進むも地獄、戻るも地獄といった有り様で、本当に困っていました。そこで、先生が勧めてくれたフルボ酸です。今、鉄剤は何も飲んでないです。でもまったく貧血っぽい症状がありません。いつもPMSの頭痛がひどいんですが、この前来た生理では全然頭痛がありませんでした。こんなことは私の人生の中で初めてです
貧血もなく、便の状態も最高で、生理痛もない。本当に助かりました。

ゲルマニウムの効果にも驚きました。飲んでから、息苦しさが激減しました。ちゃんと酸素が吸えることのありがたさを、しみじみ感じます。
ただ、ゲルマニウムは多すぎると、ちょっとしんどくなるようです。1瓶を1週間で飲む程度が私には合っているようです。一気に多めに飲むと、少し苦しい感じがします。

先生、前回の診察のあとで思い出したんですが、考えてみれば、私、変な味は2年前どころか、20年以上前、独身時代からときどき感じていました。さびたスプーンをなめたような味です。実際にさびたスプーンをなめたことはありませんが(笑)」

結局、この患者の「変な味」については、うまく治すことができず、現在も経過フォロー中である。しかし、悪心と息苦しさに関しては、処方がばっちりはまったようだ。
すでに有機ゲルマニウムについてはそれなりの症例数を重ねているから驚きはないが、フルボ酸の潜在能力には目を見張るものがある。少なくとも鉄欠乏性貧血の治療において、こんなに理想的な治療法は他にないのではないか。鉄剤の副作用(フェントン反応による活性酸素の発生など)がなく、鉄以外のミネラルも同時に補給できる優れモノで、もはや鉄剤を使う理由がなくなってしまう。
僕もまだ手探りで全体像を把握しているわけではないが、その有効性が広く知られれば、少なくとも鉄欠乏性貧血の治療において、鉄サプリをすっかり駆逐してしまう可能性があると思う。

 

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