使用症例

使用症例

コロナ講演会、ゲルマニウム講演会 in 東京

2021.8.17

8月14日土曜日、飛行機で神戸から羽田まで飛び、そこからタクシーで武蔵野に向かった。演者の一人として、講演会に呼ばれたためだ。

ありがたいことに、最近あちこちから講演に呼ばれている。僕なりに心がけているのは、前回とまったく同じ講演はしないということである。最新のコロナ情報を反映させて何枚か新しいスライドを作ったり、あるいは古くなったスライドは削除するなど、必ず内容を一部改める。
それは客のためでもあるが、何より、自分のためにそうしている。
前にやった講演をトレースするようなスタイルでは、話している僕自身がだれてしまう。新ネタを話すほうが、僕としても楽しい。もちろん、客にとっても有意義だろう。
情報は講演直前までチェックし、タクシーの中でもスライドを作っていた。
たとえば今回、コロナの変異株について伝えたいと思った。

デルタ株の感染力はすさまじく、なんと、すれ違うだけで感染するという。

さらに、そのデルタ株を上回る感染力を持つ最凶「ラムダ株」が日本に上陸した。

さらにさらに、新たに確認されたイオタ株は、デルタ株やラムダ株を15~25%上回る感染力を持つ。

つまり、こういうことになる。

これを見て、何かこういうのを思いました。


ボジョレーヌーボーか!と(笑)
表現のインフレぶりがすごい(笑)
ただ、メディアや御用学者のメッセージはちゃんと伝わりましたよ。さぞ、国民を怖がらせたいんだなぁ
でも、そのデルタ株。感染力は高くても、

夏風邪と見分けがつかないっていう(笑)
しかしそうだとすると、世間は夏風邪相手に何を医療崩壊だ何だと騒いでるのか?

こういう情報を反映させて、講演をやった。
ボジョレーか!のくだり、いい感じにウケた(笑)
新ネタを生み出す努力が、こういう具合に実ったわけだ。

「君はバラのように美しい」と最初に言った者は素晴らしい。しかしそれを二度言うのはバカである
という箴言がある。ここにはダンディズムがある。僕もこういう美学を持ちたい。
つまり、一度ウケたネタは、持ちネタとして定番化させるどころか、むしろ封印する。そして次なる新ネタを探す。それぐらいのハードルを自分に課したほうが、成長できるような気がする。
って、別に芸人じゃないんだから、そんなこだわり要らねぇよな(笑)

さて、自分の講演のパートが終われば、あとはお気楽、他の演者の講演をゆっくり聞こう、となるはずのところ、翌15日に東京駅前の某所で、有機ゲルマニウムについての講演会があり、そこでのスライドがまだ未完成だった。内海聡先生の講演とか聞きたかったけど、すぐさま講演会場を後にすることになった。
せっかく吉祥寺に行ったんだから、『ろくでなしブルース』世代の自分としては、井の頭公園を散歩してみたかったなぁ。

ゲルマニウム講演会について、ひそかに目玉として用意していたのは、有機ゲルマニウムが体内での5ALA産生を促進する可能性を示唆するこの論文である。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21167148/
内容を簡単に言うと、
有機ゲルマニウムを飲んでまず最初に気付く具体的変化は、ウンコの色の変化です。鮮やかな黄色になります。で、この色素を抽出/精製し、分析したところ、プロトポルフィリンⅨだと分かった。

プロトポルフィリンⅨというのは、この図でいうと、ヘムになる直前の物質です。ヘムはヘモグロビンやカタラーゼなどの原料になる。たとえばゲルマニウムで貧血が改善するのも、ヘムの産生が増加することによる
さらに、ゲルマニウムの服用によって、アミノレブリン酸合成酵素1(Alas1)の発現が1.8倍増加していることも分かった。Alas1が増えると、当然、5ALAの体内産生も高まる。具体的には、

グリシンとサクシニルCoAを基質、ビタミンB6を補酵素として、そこにAlasが作用して、5ALAができるわけだ。

これ、かなり重要な情報なんですが、この意味が分かりますか?
5ALAがコロナに効く可能性については、以前長崎大学の論文を紹介した。その効果は本物で、長期化が予想されるコロナ禍において、多くの企業が5ALAに注目している。たとえばソフトバンクの子会社(SBIファーマ)が、5ALA販売大手のネオファーマジャパンを乗っ取ろうという動きさえある。
注目され、需要が高まっているため、5ALAの価格もうなぎ上りで、かつては2千円ほどだった商品が、今や1万円を超えている。かつて2千円で買えた時代を知っている僕としては、1万円はちょっと出しにくい。
さて、そんなときに、上記論文である。何も5ALAを直接補うばかりが能じゃない。5ALAの体内産生を高めるような栄養素、つまり、有機ゲルマニウムを飲む、という別の選択肢が出てきたわけだ
尤も、有機ゲルマニウムもけっこう高額だから、値段については結局どっこいどっこいかもしれない(笑)

有機ゲルマニウムがコロナに効く可能性については、今年の5月にこんな論文が出ている。
https://acta.pharmaceutica.farmaceut.org/wp-content/uploads/2021/05/Narokha.pdf

コロナワクチンがなぜ体に悪いのか。ひとつの説明としては、ミトコンドリアへのダメージである。ミトコンドリアの呼吸鎖を構成する重要な栄養素としてNADやFADがあるから、ナイアシンやビタミンB2を補うことは助けになるだろう。その他、コエンザイムQ10も要だし、グルタチオンやNACもいい。NACはみんなに知られ過ぎて、僕も買えなくなっちゃいました(涙)

しかし、何だか最近の自分は、コロナワクチンの危険性を告発する活動家のようになっているけど、やはり自分は、まず何よりも、医者なのよ。本来、コロナについての講演会よりも、ゲルマニウムとか栄養についての講演こそ僕がやるべきことだと思う。しかし、今は戦時中みたいなものだから、活動家やるのも仕方ないかなぁ。

 

函館旅行

2021.5.7

GW、二泊三日の旅をした。どこに行ったと思いますか?
ヒントとして、この土地にゆかりのある人物を挙げよう。
1. 土方歳三
2. 石川啄木
3. 高田屋嘉平
4. 新島襄
これだけのヒントで分かれば、クイズ王ですね(笑)
さらにヒントとして、
5. 北島三郎
6. GLAY
まで挙げれば、分かる人には分かるだろう。
そう、函館に行ってきました!

土方歳三と石川啄木。
シュールな組み合わせだ(笑)
どちらも日本史の教科書に出ている人物だが、一方は幕末期の幕臣、一方は明治の歌人。一方は剣を持つ武人であり、一方はペンを持つ文人である。「水と油」ぐらいに異質な両者に思えるが、一本のか細い共通点がある。
函館に住んだことがあるという、ただその一点。その共通点のために、こうやって抱き合わせ販売で、函館の観光振興に一役買っている(笑)
しかしこの組み合わせはちょっとあんまりじゃないかな。土方、啄木、双方にとって、win-winどころか、lose-loseになっていると思う(笑)
土方歳三が函館五稜郭の戦いで壮絶な最期を遂げたことは、様々な映画やドラマで描かれているから、皆さんご存知だろう。しかし啄木と函館の関係は?
1907年21歳の啄木は、数か月だけ函館に住んだことがある。その間に、彼の代表作のひとつが生まれた。
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 『一握の砂』より
実際この『土方啄木浪漫館』のすぐ裏側には、波の打ち寄せる砂浜が広がっていて、啄木はここで句の着想を得た。後世に残る傑作が生まれたのだから、ほんの数か月の函館滞在にも意味があったというべきだろう。

函館の街を歩いていると、大きな犬を散歩している人に出会った。ロン(うちの犬)と会えない寂しさから、足が自然とその犬のところに向いた。「かわいい犬ですね。なんていう犬種ですか」「サモエドというロシア生まれの犬種です。寒さに滅法強いですよ」「うちにもゴールデンがいて、寒いの大好きです」「どちらからお越しですか」「神戸です」「ああ、確かに。夏は暑そうですね」
飼い主の人とあれこれ話していて気付いたのは、その東北訛りである。聞き取れないほどの強い訛りではないが、確かに、標準語ではない。それは何もこの人に限ったことではなく、その後会う人が皆、言葉に東北弁の雰囲気があった。この点を中村さんに聞いてみた。
「函館は北海道のなかでもちょっと特殊で、青森の文化圏なんです。ダシの味も言葉も、北海道というか、青森そのものです。実際、距離的にもすごく近いんです。下北半島の大間と函館の戸井岬では、13㎞しか離れていません。泳ぎのうまい人がその気になれば渡ってしまえる距離で、昔から交流が盛んでした。交流というか、青森の人からすれば、「函館は青森の飛び地」ぐらいの感覚かもしれませんし、函館の人も青森に気軽に行きます。青函トンネルもありますし北海道新幹線もあって、「すぐそこ」って感じです。実際函館に住む人の感覚としては、札幌よりも青森のほうが身近です。だって札幌に車で行こうと思ったら4時間かかるところ、青森なら1時間で着きますから」

おもしろい。僕みたいな関西の人間にとっては、北海道は「北海道」というひとつのくくりだけど、実際はそうではない。本州(青森)の影響の強い函館は北海道のなかでも異質だという。しかし北海道の巨大さを考えれば、こういう地域差は他にもあるに決まっている。函館、札幌、釧路、稚内。同じであるはずがない。
僕は兵庫県出身で、この辺の感覚はちょっと分かる。兵庫県は旧国名でいうと、摂津、丹波、播磨、但馬、淡路の5つの国の集合体で、これは全都道府県のなかでも北海道に次いで2番目に多い。日本海に面して豪雪地帯の但馬と、瀬戸内で温暖な摂津が同じ「兵庫県」というくくりになっている。兵庫県のこの複合国家ぶりをユーゴスラビアになぞらえて、「ヒョーゴスラビア」などと言ったりする。

しかし、函館の街を歩きながら、僕が感じていたのは「ものすごく神戸に似ている」ということだ。

たとえばこういう風景。北野(神戸で一番セレブな町)の一角の写真だと見せられたら、信じたと思う。でもそうではなくて、函館元町で撮った写真です(元町という地名まで神戸と同じ^^;)
でもこれは、歴史を考えれば当然かもしれない。函館は古くから北前船の寄港地で、幕末には日米和親条約、日米修好通商条約で国際港として開港したことは、日本史で習う一般知識だろう。同様に、神戸も平清盛の時代から良港として栄え、明治以降も世界有数の貿易港として外国文化の流入地だった。函館、神戸とも、明治維新後には多くの外国人が住み、なかには本国に帰ることなく日本で一生を終えた人もいる。そういう人を弔う外人墓地があることまで、神戸と同じだった。

さて、そもそもなぜ函館に来たのか?
函館にある浅井ゲルマニウム研究所を訪れるためである。

浅井博士の銅像にも対面することができた。

しかしこの銅像、ご家族(博士の奥さんや娘さん)が言うには「全然似てない」とのこと(笑)

この浅井ゲルマニウム研究所では、アサイゲルマニウムの製造が行われている。つまり、ゲルマニウム鉱石(無機ゲルマニウム)からアサイゲルマニウムが抽出され、さらにはカプセル詰め、梱包、検品まで、すべてここで行われている。この場所こそ、アサイゲルマニウムがうぶ声を上げる産室である。
製造工程を管理する社員(斎藤さん)に、「アサイゲルマニウムの作り方」を講義してもらった。

「ゲルマニウムをハロゲン化する過程では当社独自の技術が使われている」こととか「トリクロルゲルミルの状態は強い刺激臭がある」とか、他では聞けないおもしろい話を聞くことができた。
ここで広くシェアすべきだと思ったのは、アサイゲルマニウムと他社製有機ゲルマニウムの違いである。
他社製の有機ゲルマニウムは、二酸化ゲルマニウムに塩酸を付加し、それを次亜リン酸で還元するプロセスを経ている。還元が不十分なら、当然リン酸化合物が残存する。つまり、他社製品には不純物の残存リスクがある。

ネットで「有機ゲルマニウム」と検索してみてください。アサイゲルマニウムと似て非なる「バッタもん」が数多くヒットするだろう。中国で生産された粗悪な二酸化ゲルマニウム由来の有機ゲルマニウムが大量に流通している。値段はアサイゲルマニウムよりも安いかもしれない。しかし効果や安全性に関しては、まったく裏付けがない。

僕はこれまで、ブログやnoteなどで有機ゲルマニウムのすばらしさについて情報発信してきた。そういう記事を目にして有機ゲルマニウムに興味を持ち、ネットで検索した人もいるだろう。しかし残念ながら、アサイゲルマニウムにたどり着かず、粗悪な製品をつかまされている人の何と多いことか。それでこういう人が僕のところを受診して、言うわけです。「ゲルマニウム、飲みましたけど全然効きませんでしたよ」と。
患者はゲルマニウムの本当のよさを実感できずに失望し、僕としても残念っていう。これこそlose-loseだよね。

 

ゲルマニウムと知的障害

2021.4.13

最近また、有機ゲルマニウムが著効した症例を経験したので、ここに供覧する(改めて断るまでもなく、症例はプライバシー保護のために本質を損なわない範囲で詳細を変えてある)。

【症例】12歳男児
【主訴】知的障害、てんかん、視神経萎縮
【内服】デパケンシロップ5% 6 ml分3、ランドセン細粒0.1% 0.3 mg分2
【現病歴】4か月健診で定頸の遅れを指摘されたことをきっかけに、通院が始まった。その後、精神運動発達遅滞が明らかとなった。独歩5歳2か月、6歳時には有意語なし。
生後6か月時に焦点性てんかんを発症。カルバマゼピンによる内服治療を開始。一時的に発作は消失したが、その後再び発作があり、生後8か月時にバルプロ酸に変更、2歳8か月時にクロバザム追加。2歳9か月以降、てんかんは見られていない。
2020年11月、当院初診。母に連れられてバギーに乗って来室。
母「不安感が強く、学校でも椅子に座っていられず、授業に取り組めません。食事は介助が必要で、おまけに超偏食です。水分摂取は牛乳しか飲みません。睡眠は寝つきが悪いし眠りも浅いです。おむつも手放せません。来年は中学に進学するので、少しでも症状がよくなればと思います」

お母さんも多くを求めているわけではない。介助負担が大きいこともあって、少しでも症状がよくなれば、との希望である。
知的障害に対しては、ぜひともゲルマニウムを使いたい。しっかり効かせるためには、20~30㎎/kg(横浜市立大学 梅沢実教授の研究による)ぐらいは使いたいところだが、お値段との兼ね合いもあるだろうから、とりあえず1日300㎎使うことを勧めた。
また、てんかんに対しては、何といってもCBDオイルである。どの一般処方薬を使っても効かず、外科手術するしかないと言われていた難治性てんかんの幼児が、CBDオイルをわずか数的服用するだけで劇的に改善した、といった話をしばしば耳にする。現在抗てんかん薬を服用中とのことだが、CBDオイルで代替できればそれに越したことはない。まずは薬と併用でもいいから、CBDオイルを少量から始めるといい。
実は、てんかんはオーソモレキュラー療法の得意分野である。ビタミンB6、ビタミンE、マグネシウムなどの栄養素にてんかんを抑える作用があることにはエビデンスがある。さらに、ケトン・ダイエットもてんかんに著効する。あまり厳しい糖質制限をすることもないが、せめて、精製した白砂糖や小麦は避けたい。
飲ませてあげたいサプリを挙げればきりがないが、あまり種類が増えてもあれなので、ゲルマニウムとCBDオイル(10%)の服用を指示し、経過を見ることにした。

12月再診
「寝つきがよくなって、途中覚醒もなくなりました。あと、毎年この時期は必ず風邪をひくのですが、ひいていません。いや、正確には一度ひいたのですが、すぐに治りました。あと、傷とかケガの治りが早いです。最近抜歯したんですが、回復力、傷の治りが明らかに違います。その日のうちに出血が止まっていましたから。
精神面については、安定してきました。気持ちの切り替えが上手になった感じです。これまでは自分のやりたいことを止められると大声出して怒っていましたが、そういうのがなくなりました。「まぁいいや」って思えるようになったようです。偏食がちょっとマシになっています。牛乳ではなく、お茶で満足できるようになりました。
この前先生がマグネシウムがいいって言ってたので、マグネシウムを自分の判断で追加しました。それでますますよくなりました。笑顔が増えて、とても幸せに過ごせています。
この1か月、この子の変化を、奇跡を見るような思いで見ていました。ゲルマニウム、本当にすごいなと思って、私も飲み始めたんですね。仕事で文書の作成なんかをしているとだんだん疲れて頭がぼんやりしてくるところ、ゲルマニウムを飲むと、はっきり、頭がクリアになるのを感じました。酸素が行き届いてる、って感じです。あと、終わったかと思っていた生理が再開しました。2か月前に閉経したと思っていたんですが。
CBDオイルも試してみたんですね。日中に2滴飲んでも何も感じなくて、夜に4滴飲むとすぐに寝ました。でも浅い眠りで、1時間後には起きてしまいました。何だかそわそわするような感じになって、手足が冷たく、頻脈になりました。子供にはすごくよく効いていますが、交感神経優位の私には合わないのかもしれません」

終わったと思っていた生理の再開、という話もよく聞く。これは卵巣や子宮への血流量(酸素供給量)が増えることによる。ゲルマニウムを飲めば、単純に、若返ります
CBDオイルは、確かに、合う合わない、がある。本来自律神経のバランサーとして機能するはずだけど、人によっては作用が好ましくない方向に出てしまう。3%とか、まずは薄い濃度からでもいいと思うよ。

2021年4月5日再診
バギーではなく、徒歩にて来室
「落ち着いています。いつもなら私の膝の上に抱っこしていないといけないところ、最近は椅子にじっと座っていられるようになりました。偏食がずいぶん改善して、食べられるメニューが増えました。食事が全介助だったのが、少しずつ自分で食べれています。おむつをトイレに捨てに行くのも手伝ってくれたり。介助の受け入れがよくなってきました。
ただ、自我が強く出てきたせいか、思い通りにいかないと怒って噛みついたり、というところもでてきました。成長に伴うものだけど、このあたりが今の課題です。
2週間前ににがりを切らしました。マグネシウムのカプセルは摂取しているから問題ないと思っていましたが、次第にそわそわし始めて、あれれと思いました。にがりを再開すると、すぐに落ち着きました。改めて「にがりすごい」って思いました」

いや、僕もそう思う。マグネシウムにはいろいろなタイプの塩(えん)がある。クエン酸マグネシウム、グリシン酸マグネシウム、酸化マグネシウム、とかいろいろあるけど、結局一番吸収がいいのは、海水の成分でもある塩化マグネシウムで、要するに、にがりなのよ。液体だと味がまずいのが難点だけど、ある程度しっかり飲むといい。下痢しない程度にね。
あと、特に脳に効かせたいのなら、トレオン酸マグネシウムがいい。この前ベンゾの離脱で苦しむ人に勧めたら、すごく効いたって感激してた。この人、にがりは何ら効いてる実感がないって言ってたから、マグネシウムは本当、塩(えん)によって作用が全然違うよね。

バギーの少年が、わずか数ヶ月後には徒歩で来室した。これは、現代医学の目から見れば、奇跡ということになるだろう。ハイジが「クララが立った!」と快哉を叫んだように、お母さんも、息子の改善ぶりを涙流して喜んだ。
こんな具合に、ゲルマニウムは奇跡を演出します

 

ゲルマニウム講演会

2021.4.12

有機ゲルマニウムについての知識なら十分にある。僕自身も飲んでいるし、多くの患者に使ってきた。実臨床での使用経験は数えきれない。知識も経験もあるが、さて、「有機ゲルマニウムとは何か」を人に説明するとなれば、ちょっと悩む。「何から伝えればいいかな」と。
ものの流れで、『ゲルマニウムと健康』をテーマに講演会をすることになってしまった。noteとクリニックのホームページで告知したところ、参加希望者が殺到した。僕としては小さな会議室で10人くらいを相手にしゃべるイメージだったから、応募のあまりの多さに困惑してしまった。多くの人が興味を持ってくれることは、もちろんうれしい。しかし、講演については素人である。いくつも不安がわいてきた。まず「こんなに大人数の前で話せるだろうか」という不安。
さらに「みんなガッカリしちゃうんじゃないかな」という不安。
参加希望者のほとんどは、僕の記事の読者である。少数ながら僕の患者もいるが、ほとんどの人は僕の実際の声や雰囲気を知らない。僕という存在を、僕の文章だけで認識しているということだ。一般に、文章はしゃべり言葉よりも思考の密度が濃いものである。切れ味鋭い文章を書く人が、しゃべりにおいても切れ味鋭いかというと、必ずしもそうではない。
中学生のときカポーティの小説が好きだった。「なんてきれいな文章を書く人だろう」と感動して、彼の作品を読み漁った。しかし、何年か前にカポーティがテレビ番組で話すYouTube動画を見て、僕はガッカリしてしまった。確かに、話す内容には知性を感じる。でもしゃべり方や声質は、彼の小説から僕がイメージしていたものとかけ離れていた。僕のほうで勝手にイメージして勝手にガッカリしてるわけで、カポーティにとってはうっとうしい話だろうけど(笑)
「同じような失望をされるんだろうな」と思った。でも同時に「仕方ない」とも思った。「僕は僕であるしかないんだから、あるがままの自分でいこう」と。

しかし、講演まで日がない。いかにしてゲルマニウムの魅力を伝えるか、じっくり考えて丁寧にスライドを作りたいところだが、あまり時間をかけられない。急いで作らねば、と思っているところに、月曜日、テレビにもよく出演する研究者から電話があった。「note読んでます。僕らがテレビでなかなか言えないことを言ってくれてありがとう」と。そして多くの裏話を聞いた。
こんなおもしろい話を聞いてしまっては、記事にせずにはいられない(笑)
スライド作りに割きたい貴重な時間を投入して書いたこの記事は、しかし、翌日には削除することになった。「ツイッターやフェイスブックで検閲や言論統制が行われていることは知っていたが、まさかnoteでも行われているとは」みたいな話があるけど、違います。お上から強制的な圧力があった、みたいな話ではありません。じゃ、どういう話なのか?詳しくは言えないけど、簡単に言うと、「製薬会社怖いよね」って話です(笑)
しかし記事をこんな具合に撤回するのは、ある意味慣れっこなのよ。患者のことをブログに書いて、患者本人から「あの記事消してください」と言われることはよくある。患者から「私のことブログに書いてもいいですよ」と言っていたのに、実際に書くと「やっぱり消してください」と言われたこともある。僕としては、それなりのエネルギーを費やして書いた分だけ愛着があるし「多くの人にとって有益な情報だからぜひ載せておきたい」と思うのだけど、患者が嫌がるとなれば仕方ない。すぐに下げる。
他にも、いろんな事情で下げざるを得なかった記事はけっこうある。この「削除した記事」だけを集めて本として出版すれば、意外に売れるんじゃないかな(笑)

さて、講演は、自分で言うのも何だけど、大成功だった。これは、僕がスライド作りを頑張ったというのもあるけど、それ以上に、参加者のみなさんが僕を成功させてくれたんだと思う。僕の言葉にうなずいたり反応してくれて、話をすごく聞いてくれている感じが伝わってきた。僕は「ゲルマニウムについて伝えたい」と思っている。そしてみなさんは「ゲルマニウムについて知りたい」と思っている。双方の熱意がうまく嚙み合った。そのおかげで成功したんだな。

講演後、多くの人がアンケートに答えてくれた。そのなかに、こんなメッセージがあった。
「noteの前の院長ブログから全部読んでおります。昨年はNHK文化センターでのセミナーがコロナのせいでなくなり、大変残念に思っておりました。「こんなにためになる記事を無料で読んでいていいものか」と常々思っておりました。今回このような形で金銭をお支払いできて、ようやく一安心できたところがあります。
どうか「安全」に気を付けられ、今後の活躍を期待しております」
有益な情報を得ながらも、それが無料であることに、この人は居心地の悪さを感じていた。「相応の対価が支払われるべきだろう」と。繊細な人ですね。「タダで有益な情報ゲットできてラッキー」みたいな人も多いだろうけど、一定数こういう人もいるんだな。
こういう一本筋が通った人にそう言ってもらえるのは、僕にとってすごくうれしいことです。
あと、僕の「安全」を心配するメッセージも多かった。「120㎞のストレートって比喩、大好きです」って。打たれないように頑張ります(笑)

 

ゲルマニウムと浅井一彦

2021.3.13

1958年、浅井一彦は石炭の研究に没頭していた。彼が石炭のガス液から、銀色に光る棒状単結晶の有機ゲルマニウムの抽出に成功するのに、それから10年近くの歳月を要するのだが、当時の彼はそんなことは思いもしない。私財を投じて作った石炭総合研究所の所長として、ただひたすら石炭の基礎研究に打ち込むのみだった。

浅井は、ある会合に出席した折、若い音楽家を紹介された。「ヨーロッパに渡って指揮者になる勉強をしたいと思っています」という若者である。渡欧資金の工面のためにあちこち奔走しているようだ。浅井はこの若者にいくつか質問をした。どんな指揮者になりたいのか?日々どんな練習をしているのか?どれほどの金が必要なのか?若者は必ずしも雄弁ではなかったが、自分の言葉で音楽への熱意を語った。夢は「世界一の指揮者になること」だという。
浅井はドイツ留学時代、何度かオーケストラの鑑賞に行ったことがある。フルトベングラーの指揮する『ニュルンベルグのマイスタージンガー』や、カラヤンの指揮する交響曲を直接聞いた経験は、彼の密かな誇りだった。この若者がヨーロッパで大成し一流の指揮者になったとしたら、どれほど素晴らしいことだろう、と彼は思った。
若者にどれぐらいの音楽的才能があるのか、浅井には分からない。多くの若者の夢がそうであるように、この若者の夢も、いずれ壁にぶち当たり、実現することはないだろう。しかし浅井はこの若者が気に入った。その大きな夢に、自分も賭けてみたい気がした。
日夜石炭研究に打ち込む自分である。この研究が形を成し花実を咲かせるか、まったく分からない。この若者も自分と同じである。成功の保証はない。ただ、不確実な未来へ邁進する、熱意だけはみなぎっている。浅井はこの若者の中に、自分の姿を見たように思った。
考えるまでもない。その場で、ある金額の資金援助を約束した。そしてふと思い出して、こう聞いた。「君、着ていく背広の準備はあるのかい?」この心遣いも留学経験のある浅井ならではである。向こうで調達するのもいいが、日本で腕のいい職人に作らせても充分そん色のない背広ができることを、浅井は知っていた。

この若者こそ、後に指揮者として名を成す小澤征爾その人である。
1959年単身で渡仏。その荷袋の中には浅井から贈られた一張羅の背広があった。将来有望な若手指揮者の集まるブザンソン音楽コンクールで1位に選ばれた。カラヤンに師事し指揮者としての感性に一層の磨きがかかった。1960年バークシャー音楽コンクールで最高賞(クーセヴィツキー賞)を受賞。1961年ニューヨーク・フィルの副指揮者に就任。バーンスタインに師事。多くの公演でタクトを振り、いずれも大盛況。その実力を周囲に認めさせた。

小澤の名声は、遠い日本、東京世田谷の浅井の研究室にも聞こえていた。若者の快進撃を、浅井が喜ばぬはずがなかった。だから、1961年小澤がNHK交響楽団に招かれて凱旋帰国した際には、浅井は家族全員を連れて鑑賞に駆け付けた。小澤は浅井一家に最前席を用意することで、かつての恩に報いた。

浅井研究所社員が語る。「浅井社長の奥さんはドイツ人で、いかにもヨーロッパ美人という感じの、とても美しい人でした。で、その娘さんも近所で評判の美人だった。あまりにも美人なので、世田谷の写真屋さんが娘さんをモデルに写真を撮って、その写真が長く写真屋のショーケースに飾られていたほどです。小澤さんはこの娘さんに恋をされました。もっとも、この恋が実ることはありませんでした。
浅井社長のご家族、奥さん、子供(一男三女)は、社長を除き全員、ドイツに行ってしまわれましたから。子供のうち、長男の博一さんは数年前に亡くなられましたが、三人の娘さんは皆さん元気にしておられます。2年ほど前、まだコロナの前ですが、皆さん日本に来られ、私もお会いしました。
そこで私、印象に残ったのが、娘さんたちの日本語の美しさです。皆さん昭和40年代に日本を離れて、ドイツで結婚され、すでに子供や孫がいます。もう日本語よりもドイツ語を使っているほうが長いような人たちです。でも若いときに日本を離れて外国に永住するようになると、日本語が”そこで止まる”んですね。つまり、娘さんの日本語は、昭和40年代の東京の日本語なんです。
私は生まれも育ちも東京です。東京言葉は知ってるつもりでしたが、娘さんたちと話すと、その言葉の美しさに、何だか緊張して背筋が伸びる思いでした」

ああ、なるほど。外国に行くとその人の中で日本語の変化が止まる、というのはおもしろい現象だね。この現象って、何か名前がありますか?(笑)。娘さんらは20代で日本を離れ、現在80代。60年前の日本語が、海外在住者の中に缶詰みたいに保存されているわけだ。
確かに、この娘さんたち「めっちゃムカつく!」とか言わないと思う(笑)
そういうの思うと、僕らの話す今の日本語はずいぶん汚れちゃったよなぁ。

 

有機ゲルマニウム研究会入会について

本会の趣意に賛同いただいた、医師・歯科医師・獣医師のみご登録いただけます。
ご登録いただいた方々には以下をご提供致します。

  • ①有機ゲルマニウムの最新研究情報・臨床研究をご提供
     ※HPやメールマガジンにてお知らせ致します。
  • ②毎月行う「有機ゲルマニウム臨床勉強会」やセミナーなどへのご案内
  • ③「有機ゲルマニウム研究会」認定の有機ゲルマニウム(浅井ゲルマニウム研究所 製造)のゲルマニウムサプリメントを会員特別価格にて提供